七福神の置物に効果はある?|七福神の成り立ちと出自、宝船と初夢、飾り方の出どころ

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風水・暮らし

七福神の置物を玄関やリビングに飾ると運が開ける。そう聞いて、置物を探している人もいると思います。七福神は今もお正月の飾りや七福神めぐりで親しまれる、身近な福の神です。

ここでは、七福神の置物の「効果」に出典があるのかを確かめ、七福神がどのように生まれたのかを辞典でたどります。宝船と初夢の習わしや、七福神めぐりの始まりについても書きます。

置物の効果は、出典が見つからない

七福神の置物に効果はある?|七福神の成り立ちと出自、宝船と初夢、飾り方の出どころのイメージ

七福神の置物を「風水でも強力な開運アイテム」「七つの力が合わさって運気が上がる」と紹介する説明を見かけます。けれども、辞典の「七福神」「宝船」の項には、置物の効果や、置く場所、向きの決まりは書かれていません。検索で見つかったのも販売や解説のサイトだけで、もとになる出典は見つかりませんでした。

風水は、中国で秦・漢の時代から伝わる術で、都市や住まい、墓をつくるときに地勢や方位を見て、よい環境を求めるものです。七福神は日本でまとまった福の神の組み合わせで、辞典には両者を結びつける記述はありません。

一方で、七福神の絵や像を家に飾って拝む習わしがあることは、百科事典にも書かれています。置物は、効果を約束するものというより、福の神を身近に置いて、福を願う気持ちを形にしたものと考えるのが自然です。

七福神はいつできたか

七福神は、福をもたらす神として信仰される七柱の神の組み合わせです。辞典によると、室町時代に「七」の形にまとまり、室町時代の初めにはすでにできあがっていたとされます。1420年には、七福神に仮装した行列が京都(目黒区の説明では伏見)で行われた記録があります。15世紀後半には、七福神に扮した盗賊が、福の神が来たと歓迎されたという話も残っています。

恵比寿と大黒天は、平安時代から別々に信仰されていました。布袋・福禄寿・寿老人は、禅宗の絵とともに中国から入ってきたものです。室町時代には、都市や商業の発展とともに、福をさずかる信仰が広まっていました。狂言の『夷大黒』にもそれが見えます。

「七福」という言い方は、「七難即滅、七福即生」(七つの災いがたちまち消え、七つの福が生まれる)にもとづくといわれます。目黒区は、インド・中国・日本の神仏を、現世の幸せを願う町の人々が「七」という聖なる数に合わせてまとめたものらしい、と説明しています。

七神はどこから来たか

  • 恵比寿(日本)
    兵庫県西宮の神社の主神で、事代主神(ことしろぬしのかみ)ともされる。もとは海辺の漁民の信仰で、のちに海運や商売繁盛の神として広まった
  • 大黒天(インド)
    インドの神。日本では「大黒」と「大国」の音が通じることから、大国主命と重ね合わされた
  • 毘沙門天(インド)
    仏法を守る四天王の一つで、北の方角を守る
  • 弁財天(インド)
    インドの聖なる川の名が神になったもので、言葉・音楽・学芸の神。吉祥天と混同されて福の神の性格が加わり、江戸時代には財をためる神として広く信仰された
  • 福禄寿(中国)
    中国の道教に由来し、南極星の精とされる
  • 寿老人(中国)
    福禄寿と同じく、南極星の精とされる
  • 布袋(中国)
    中国の後梁の時代に実在した禅僧、契此(かいし)がもとになっている

日本の神は恵比寿だけ、と説明されることがありますが、大黒天は日本で大国主命と重なって信仰されてきました。弁財天は、中世の終わりごろには七福神の一つとして、琵琶を弾く姿で表されるようになります。

顔ぶれは一定ではなかった

七福神のメンバーは、いつも同じだったわけではありません。江戸時代には、福禄寿と寿老人を同じ神の別名とみて寿老人を外し、代わりに吉祥天や猩々(しょうじょう)を入れることもありました。七という数は先にあり、中に入る神は時代によって揺れていたことが分かります。

七福神めぐり

正月の元日から7日までの間に、七福神をまつる寺社を巡って開運を願うのが七福神めぐり(七福神詣で)です。1901年の雑誌『風俗画報』には、初春に七福神詣でをするのは江戸以来の風俗だ、と書かれています。

東京の谷中七福神は、江戸時代中期の宝暦年間(1751〜64年)に始まった、江戸で最も古い七福神巡りといわれている、と台東区が紹介しています。東覚寺・青雲寺・修性院・長安寺・天王寺・護国院・不忍池辯天堂を巡ります。一方、目黒区は、正月の七福神巡りは江戸時代後半の文化・文政のころに始まったとしていて、始まりの時期は資料によって違います。目黒の山手七福神は、1838年の『東都歳事記』に記録があります。

宝船と初夢

七福神が乗った宝船の絵は、もともと初夢のためのものでした。宝物や米俵、七福神などを乗せた船の絵を、正月2日の夜に枕の下に敷いて寝ると、よい初夢を見るといわれます。絵には、上から読んでも下から読んでも同じ回文の歌が書かれました。

絵を枕の下に敷く習わしは室町時代にはすでにあり、七福神が金銀や米俵を満載した船に乗る絵柄が流行したのは江戸時代の中ごろです。江戸から明治にかけては、「お宝、お宝」と言いながら宝船の絵を売り歩く人がいました。七福神を船に乗せるのは、福は海のかなたからやって来る、という考えにもとづくと辞典は説明しています。

宝船の置物を「金運を強く引き寄せる」「船の向きを入口に向けると運気を取り込む」と説明するものがありますが、出典は見つかりませんでした。辞典に書かれている宝船の使い方は、初夢のために枕の下に敷くことです。

置き場所と向き

玄関に置く、リビングの高い所に置く、入口のほうへ向ける、部屋の中へ向ける、などの置き方が紹介されていますが、どれも出どころは見つかりませんでした。説明によって向きが逆になっていることもあります。

決まりがない以上、毎日目に入って気持ちよく感じられる場所に置くのがいちばんです。落ちたり倒れたりしない、安定した場所を選んでください。

素材ごとの扱い

陶器の置物は、生地に小さなすき間が多く、少し水を吸う性質があります。表面のうわぐすり(釉薬)が水のしみ込みを防いでいます。陶器は磁器に比べて強度が小さいので、落とさないように気をつけてください。うわぐすりをかけずに焼いた素焼きのものは、水がしみやすいので、水拭きは控えめにするのが無難です。

七福神の置物とのつきあい方

七福神は、海の向こうから福が来るという考えや、七つの福を願う気持ちから、室町時代の町の人々がまとめあげた福の神です。顔ぶれも時代によって変わってきました。置物の効果や置き方に決まりはありませんが、福を願う気持ちを形にするものとして、昔から絵や像が飾られてきました。

置物を飾るなら、それぞれの神の出自や性格を知っておくと、眺めるときの楽しみが増えます。お正月には、近くの七福神めぐりに出かけてみるのもよいでしょう。

よくある質問

Q. 七福神の置物には、どんな効果がありますか?

A. 辞典には置物の効果の記述はなく、出典も見つかりませんでした。七福神の絵や像を家に飾って拝む習わしはありますが、効果を約束するものではありません。

Q. 七福神と風水は関係がありますか?

A. 風水は中国の地勢や方位を見る術で、七福神は日本でまとまった福の神です。辞典に両者を結びつける記述はありません。

Q. 置物はどこに、どちら向きに置けばいいですか?

A. 置き場所や向きの決まりの出どころは見つかりませんでした。毎日目に入る、安定した場所に置いてください。

Q. 七福神のうち、日本の神はどれですか?

A. 恵比寿が日本の神です。大黒天はインドの神ですが、日本では大国主命と重ねて信仰されてきました。

Q. 宝船にはどんな意味がありますか?

A. 辞典では、正月2日の夜に枕の下に敷いて、よい初夢を見るための絵です。七福神を船に乗せるのは、福は海のかなたから来るという考えによります。

Q. 七福神めぐりはいつ行くものですか?

A. 正月の元日から7日までの間に巡るのが習わしです。始まりは江戸時代とされ、東京の谷中七福神は江戸で最も古いといわれています。

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